回想録 1

思い出のお話

 

昔々・・・

まだ、若かりし頃の話

社会人になってすぐ

中学校時代の友人から連絡があって

数年ぶりに友人数名と同窓会することになった

 

私にはまだ、彼氏と呼べる人は居なくて

「一人紹介してあげる」

という話の流れになり

紹介してもらった。

 

しかし・・・

その紹介してもらった人物というのが

実は、ヤの付く名の自由業の人だった

 

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その人を紹介される前に

ちょっと手違いがあって

同じ系列のチと名の付く自由業の人が

その友人と色々コンタクトを取ってきていて

煩わしいと思っていた。

 

そんな時、元々紹介されるはずの人と

会う事となって、実際に会う話が進み・・・

私はお断りしたのだけれど

その人から2~3日毎に連絡があり

お断りできずに会うことに・・・

 

先入観念はいけないと思い

1度会ってみると

ヤの付く自由業お仕事をされているとは言われず

繁華街の多数の飲食業者のお店を

数十軒社長から任せられている

と、自己紹介された。

 

しかし、どう考えても専務とかの役職のある人とは見えず

当時、生きていた父に

「〇〇地区の飲食業の取り纏め人って、どんな人がなるの?

と、それとなく問うてみた

・・・ら

「それ、島を取り締まっている、前頭だろ」

もっとわかりやすく問うと

暴力団の息がかかっている夜の店で、定期的に見回りしてる」

と、答えが返ってきた

思わず、無言になった時

「素人が関わる団体じゃないぞ」

と、釘までさされた。

 

ハハハ・・・

父の言葉はストライクですね。

 

ある日、当時住んでいたところは

ご近所さんの目が常にあるような田舎で

セドリックで会いに来るその人の噂はすぐに

母の耳に入り、そして父の耳にもすぐに入った。

 

そんな時、私は扁桃腺が悪化して

高熱と咽喉がこれ以上腫れることが出来ないくらい腫れあがり

声が出ないだけじゃなく

呼吸するのも困難な状況の中

電話がかかってきて

「今から出てこれないか」

という誘いがあったが

私自身、それどころじゃない

お断りすると

「今、会わないと、もう連絡もしないし会わないよ」

と言われて、カチンときた為

「最初から声が出ないので話すことが出来ないし

息もできないと言ってるじゃない。無理です。」

と初めて反論。すると

「これで最後だよ。ほんとにそれでいいの?」

この言葉で、怒りが込み上げてきた

「思いやりのない人。最後でいい。もう会わない。」

と言い放ったのだが、まだヒツコク

「ほんとに、最後だよ・・・」

と、言われていた時、横から父の手が伸びてきて

「お前、何処のシマの者や!うちの娘を誑かして

まともに居れると思うな!!顔を見せに来い」

怒りの鉄拳が落ちた。

 

私はそのまま救急病院に行って入院し

それからはその人とは一度も会ってない

 

ま、会いたいとも思ってないですが